小さな希望

大きな壁に突き当たってるような時代。今までのシステムが通用しなくなってるのはなんとなく感じている。それが安心、安全を求める根底にあるような気がする。今の利益を求めて活動すると将来の不利益を増大してしまう。国内トップ会社が国際社会で生き残る為にやむをえず社員を解雇すると社会全体が元気がなくなってしまう。景気が悪いから立ち直る為には将来世代に借金を送らなければならない。今の快適な生活を求めて電気を使えば将来世代に解決不可能な核廃棄物を押し付ける。
 部分の利益を追求することが全体の不利益になり、かえって部分の不利益になる。今の利益を追求することが将来の不利益になってしまう。このことは現在の社会経済システムが限界に突き当たったという事ではないのだろうか。民主主義とか自由とかの価値観も含めて。理想を掲げて邁進する人生観も絶対ではなかった。何が原因しているかははっきりとは言えないが、複数の原因が輻輳してることは確かだろう。
 かつて成長・拡大時代の目標は解りやすかった。一所懸命勉強して就職に有利な大学に入学し大企業や役所に入り出世し高給を得て豪邸に住み妻子に恵まれ高級レジャーを楽しむ。研究者となって偉大な発見をし世の中に貢献する。これが疑いも無く今までは人生の目標になり得た。そして自分相応のミニチュア版を求めれば相応に満足できて「幸せ」を感じられた。自分の為に頑張ればそれが家族を幸せにし、会社も業績が上がり社会もよくなる。システムが有効であったから。それが必ずしもそうはならない事態に現在は困惑している。
 おそらくこのような価値観をささえられた一つには経済、人口、食糧、エネルギー等が無限に拡大できると仮定したシステムだからだろう。また全てのものは人間の為に利用してよいという人間優先主義も限界を露呈してきているのだろう。地球は有限であるという現実が人類の前にあらわれてきても経済は成長し続けること、生産は拡大しなければならないことこれをを止められない。人間の為に他の生物や自然を限界を超えて利用しなければ「豊か」になれないシステム。それにに呑みこまれた「幸せ」な生活。私たちは今いか程の厚く高い壁に直面してるのだろうか。

 真面目に働ける場があり、働くことによって家族も、地域も、環境もよりよい関係になってゆくそんな時代が確かにあったのだと思う。そんな地域が在ったのだと思う。それを新たな形で取り戻すためには歩んできた来し方を自分の足元で振り返ってみよう。
 例えば幸い今でも村の農家には縁側があり土間があり囲炉裏炬燵がある。そこは農作業の場でもあった。ここでは暮らしと仕事が融合していた。家族や地域とともに生活や仕事があった。個人が家族や地域や仕事や暮らし等と一体となってあった。今はそれらがそれぞれ離れていくように流れている。バラバラに離れていく現象は村にあっても都市と同じである。これが不安の基底となっている。しかし精神は去ろうとしても「囲炉裏」という形が残っている。形は再創造のきっかけとなりえる。
 そこを見つめながら様々な活動があれば、もしかして流されてゆく「つながり」を引きとめ新しい人の関係、自然との関係が創造できるのではないだろうか。小さな希望である。
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by kimizudo | 2010-08-05 09:06  

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