久しぶりに東京さ

行ってきました。本屋を覗いても
原発事故や震災などどこかの国のような実感のない空間東京。そんな気がしたのはヒガミか。

先の大戦では勝利は決定的なのにうじうじしてる間に原爆も実証できた。東京大空襲も戦況には関係なく戦争に負けることの悲惨さを非戦闘員に身にしみて実感させるためにやったとか。ここ長岡市は山本五十六の出身地であるという理由で徹底して空爆したとか。

人間も足の小指の先端の痛さも全体で共有できるよう脳にしっかり伝えるようにできている。しかしその集合体としての組織や社会はそのように機能してない。10兆円の景気対策も財源は国債.原発と同じ子孫へのつけ回し。現在の饗宴を維持したければその行く先は決まっているのに正直に言えば選挙に負けるし考えることさえしない。六ヶ所村で事故があっても東京は痛くないと思っている。経団連の会長も早く原発を動かし増設しろという、恐らくこの流れは「大空襲」まで止まらないでしょう

この国の民は自然との付き合い方を知恵として持ってるがそれが科学(人災)との付き合いに仇となってしまっている。水に流す、やり過ごす、ほおかむりする。忘れる。

それにしても誰も刑務所に入れられてないどころか年俸さえ保障されているこの集合体が一国として成り立ってるのか不思議である。

願う幸せとは他の命の最小限の犠牲の上に与えられるささやかなものでありたい
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by kimizudo | 2013-01-11 10:43  

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