過疎の由縁

私は元々の私ではない。周囲との関係の中で造られて来た。私の意志も関係の中で生まれささえられた。私個人が先に確立してあって周囲との関係が選択されてきたのではない。これは子どもでも60過ぎでも変わらない。私は個人の望みを遂げるただの個人ではない。個人主義はは品格を備えた利己主義であり、利己主義は品の悪い個人主義であると言ったのは トクヴィルであったか。
 善良な公的仮面を被って自己実現や生きがいを求める事は少しとどまってみること。人のためと称して実は自己の満足を得ることを知る。そしてなをその先に自然と人との関係が見えてくればその手法は見違えるほど違う。しかし似て非なる手法が通って行った後には自然と人心の荒廃が残る。そして人は益々個人化していく。今過疎に悩む農山村が問われている一つはこの関係性の断裂なのではないか。
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by kimizudo | 2008-03-18 08:04 | 田舎暮らし  

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