カテゴリ:田舎暮らし( 13 )

 

放射能という形而上学

放射能が降っているという情報は地球上で人間だけが「理解」している。猫も鳥もミミズもかえるもタマネギもトマトもケヤキも銀杏も感知してない。生体で感知できないものを人間だけがをデータで20マイクロシーベルトなどと「理解」している。その理解は人間が作ったセンサーで表示しているだけだ。これは哲学ともいえる形而学上の理解である。だから一人ひとりその意味が違ってくる。恐い、恐くない人それぞれである。医学的結果もおそらくまちまちであろう。生物である人間が生物が感知できない世界に踏み込んだ原子力利用、遺伝子組み換えは人間だけに反逆する。人間だけがその罪を知っているから。牛も猫も大豆も魚も原子力と遺伝子組み換えには恐れはしない、ただ作為者人間だけがその罪(影響)を背負う。地球も然り。
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by kimizudo | 2011-06-14 20:17 | 田舎暮らし  

東北震災

http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20110319
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by kimizudo | 2011-04-10 20:51 | 田舎暮らし  

風車の現実

経済産業大臣に要望書提出します。
風の吹くまま気の向くまま発電したり止まったりでは、ベース発電にも予備発電にも出来ず調節の使用がありませんので結局他の発電設備を用意しなければなりません。(バッテリー&太陽光発電組み合わせの小規模家庭用なら有効かもしれませんが。)。100m級の超大型プロペラは税金の無駄使いとしては有効です。

増子輝彦副大臣(参議院福島県選出)に手渡しします。


要望書

経済産業大臣 直嶋正行様

■風力発電施設への補助金交付制度の抜本的な見直しを要望いたします

 ここ数年、日本各地に大型風力発電施設が次々に建設されるようになり、それ
に伴い、深刻な自然破壊、騒音・低周波音等が原因と思われる近隣住民への健康
被害が報告されています。
 定格出力が2000kwを超えるような大型風力発電施設建設は、世界的に見ても、
ごく最近始まったものであり、ましてや日本においては、法規制が事実上ないに
等しい状態です。
 その一方で、「環境に優しいクリーンなエネルギー」「地球温暖化対策に不可
欠」といった理由で、補助金制度や、発電した電力の高額買い取り義務などの法
制化を先行させたため、事業者は「発電実績は二の次で、建ててしまえば勝ち」
という姿勢で、各地に強引な手法で建設を進めています。その結果、風力発電施
設が原因と思われる被害を受けても、住民は事業者にも行政にも見捨てられ、途
方に暮れているのが現状です。
 風力発電は「CO2削減」という名目で国策として推進されていますが、実際に
は無風状態では発電せず、いつどれだけ発電できるか、人知でコントロールする
ことがまったくできないという致命的な欠点をもっているため、電力の安定供給
を維持するためには、火力発電など、他のバックアップ電源が不可欠です。とい
うよりも、風力発電を主軸に電力供給をすることはできません。このことは欧米
の専門家たちも繰り返し指摘してきており、「風力発電を増やせば、実際にはそ
れに起因する出力変動を補うための火力発電所を増やす必要があり、資源浪費に
つながる」という主張を展開するメディアも、ヨーロッパを中心に複数存在しま
す。
 風力発電施設建設に関して、以下の大きな問題が存在しているにもかかわらず、
建設にあたっての法律、条令などの制限がないことが無秩序な建設につながって
います。風力発電のガイドラインを明確にし、早急に法的整備をしてください。
 
 1. 風力発電施設建設による地形の破壊、森林の喪失
 
 風力発電施設建設に際し、送電塔の建設、道路の拡幅、資材置場や掘り出した
残土の捨て場などのために、貴重な森林の大規模な伐採が行われ、その結果、土
砂崩れ、土壌の流出、飲料水や海水の汚染などの深刻な環境破壊が始まっていま
す。
 近隣住民のみならず地域全体の住民への被害、多様な生物への悪影響、景観の
破壊による観光への悪影響などが想定されますが、風力発電施設は環境影響評価
法(アセス法)の対象事業になっておらず、そのため、環境への影響を適切に測
ることなく建設された風力発電施設が多くあり、被害が多数報告されています。
 
 2. 巨大風車の回転による近隣住民への精神・肉体両面への深刻な影響
 
 巨大風車からは低周波・超低周波音が発生し、近隣住民に健康被害をもたらし
ています。現実に、巨大風車周辺住民には、抑鬱、無気力、極度の不眠、頭痛、
血圧上昇、嘔吐、耳鳴りなど、様々な健康被害が発生していて、事故などで風車
が止まれば症状も緩和、あるいは消えるということが分かっているにも関わらず、
「(風車との)因果関係が証明できない」「騒音公害の基準値以下の測定値であ
る」などという理由で、被害住民の訴えは完全に切り捨てられています。
 その他、風車の回転するブレードが作り出す影、夜間の航空標識灯のストロボ
現象による不快感、圧迫感は、実際その現場を見ない者には想像を絶するストレ
ス源となっています。 救済策がない状態のまま、人家のそばに巨大風車群の建
設を許すどころか、補助金をつけて国が奨励している現状は、まさに国民不在の
政治と言わざるをえません。

 3. あまりに簡単に起きる事故
 
 すでに建設された風力発電施設では、現在、多くの風車が事故や故障で止まっ
ています。風速60メートルの風にも耐えるといわれている風車のブレードが、実
際には風速20メートル程度でも簡単に折れたり脱落したりしているのです。中に
は、無風にもかかわらず、風車が根元から倒壊するというお粗末な事故さえ起き
ています(青森県東通村)。
 風車の耐用年数は15~20年とされていますが、実際には試験運転中に羽根が脱
落するなどしており、中には修理を事実上断念しているのではないかと思われる
ケースも多数あります(御前崎港町営風車、三重県ウィンドパーク美里など)。
 台風が少なく、安定した偏西風が吹くヨーロッパで設計された風車は、風が安
定せず、山地が多い日本の風土に合っていないからだとも言われますが、巨大風
車がもつ根源的な脆弱性とも考えられます。樹脂製の羽根の弱さだけでなく、絶
えず変則的な力を受ける発電機の寿命も短く、トータルで考えたときの発電効率、
コストパフォーマンスに大きな問題を抱えていると言わざるをえません。
 耐用年数を過ぎて巨大な処理困難ゴミとなった廃風車を撤去する費用をどこが
出すのかという基本的な問題さえ確認しないまま建設された施設も多数あります。
最後に責任をとるのは誰なのでしょうか。
 
 4. 出力変動が大きすぎるという根源的弱点

 風力発電は、風が吹かなければ発電量はゼロであり、風がいつ吹くかは誰にも
予測できません。電力使用量の少ない夜間に強風が吹けば、「いらない電気」を
作り出すだけで、買電義務を負わされた電力会社は、ただでさえ余剰電力対策に
困っている夜間の出力調整に苦労させられます。いちばん電力を必要とする真夏
の日中は無風であることが多いため、風力発電がどれだけの定格出力をもってい
ようがまったく関係なく、風力からは電気が来ないために、従来通りの火力、水
力など、他の発電施設をフル稼働させるしかありません。
 出力平成21年10月7日変動の問題を解決するには巨大な蓄電施設の併設などが
理論上考えられますが、これは費用対効果の点でまったく問題外です。
 風力発電施設を増やせば増やすほど、その出力変動に備えて、既存の火力発電
所は発電と停止を繰り返す、極めて燃費の悪い運転を強いられ、結果としては資
源の浪費になります。計画発電していれば最大限の燃費で運転できる火力発電所
が、風力発電が系統につながれてしまうと、燃料を無駄遣いしなければいけなく
なるのです。
 実際に、ドイツでは風力発電施設の増加に伴い、何十箇所もの石炭火力発電所
が増設されているとの報告もあります。現在PRされている「風力発電によるCO2
削減政策」には、こうした実態が一切隠されています。
 
 5. 生物多様性へのとりかえしのつかない悪影響
 
 風車が野生生物に及ぼす影響としては、いわゆる「バードストライク」(野鳥
の衝突死)が有名で、実際に日本国内でもすでに多くの事例が確認されています。
 バードストライク以外にも、風車建設地が山地である場合は、野生生物が棲め
なくなり、里に下りてきて農作物に被害を与えたり、繁殖地を奪われて地域内で
種が絶滅するなど、計り知れない悪影響があります。国定公園地域内や、水源涵
養保安林をわざわざ解除して建設するなどの事例も数多くあり、すでに日本の山
間部は巨大風車で多大な環境破壊を受けています。
 
 
 以上、大まかにまとめましたが、上記の理由の他にも、風力発電施設の建設に
は慎重にならざるをえない要素、未知なる問題点が多数存在します。こうした深
刻な問題点を放置し、いたずらに税金を投入して推進することは、取り返しのつ
かない結果を招きます。まずは冷静に風力発電事業を見直すことが必要です。そ
のための好機とすべく、風力発電施設への補助金交付制度の抜本的な見直しを以
下のように、強く要望いたします。

一. 風力発電施設建設に対する補助金交付制度を即時凍結し、風力発電が多額
の税を投じる価値のあるものかどうか再検討してください。

二. 補助金申請が採択され現在建設中の風力発電施設について、補助金申請に
関わる手続きの不備や違法行為、近隣住民の低周波音被害、野生生物への影響、
自然破壊などの問題がないかどうかを早急に調査し、問題のあるものについては
採択決定を取り消し、審査をやり直してください。

三. すでに設置された風力発電施設について、補助金申請にかかわる手続きの
不備や違法行為、近隣住民の低周波音被害、野生生物への影響、自然破壊など問
題がないかどうか早急に調査し、問題のあるものについては、交付された補助金
の返還を命令し、風力発電施設の速やかな撤去と建設地の原状復帰を指導してく
ださい。

呼びかけ人 加藤登紀子( 嶺岡平久里の風力発電を考える会 代表 千葉県鴨
川市大山平塚乙2-732-2 電話04-7099-9011)
賛同団体・賛同者 福島県自然保護協会(福島県)嶺岡平久里の風力発電を考え
る会(千葉県)千倉の風力発電問題を考える会(千葉県)残土産廃問題ネットワ
ークちば(千葉県)きさらづ市民ネットワーク(千葉県)市原市民ネットワーク
(千葉県)袖ヶ浦市民ネットワーク代表(千葉県)反焼却市民の会 横浜(神奈
川県)逗子考える市民の会(神奈川県)熱川風車被害者の会(静岡県)風車問題
を考える住民の会(静岡県)伊豆半島くらしと環境を守る連絡会(静岡県)三筋
山風力発電を考える河津町民の会(静岡県)南豆の和(静岡県)ドンキホーテの
会(静岡県)風車からふるさとを守る婦人の会(静岡県)風車から健康と環境を
守る住民の会(静岡県)伊豆山並み景観研究会(静岡県)伊豆の自然を考える会
(静岡県)伊豆熱川風力発電連絡協議会(静岡県)風力発電を考える会(愛知県)
五並地区の環境を守る会(愛知県)M&D風力発電被害者の会(愛知県)五並女性
の会(愛知県)日本野鳥の会和歌山県支部(和歌山県)宇久・若いもんを支援す
る会(長崎県)三盛山の風力発電に反対する会(長崎県)ふるさと自然の会(長
崎県)水俣・風力発電を考える会(熊本県)たくきよしみつ(作家/ノーウインド
ファームネット・福島県)小塚勝昭(高田島農縁/檜山高原風力発電を考える会
・福島県)大塚しょうかん(建築士/木こりの家プロジェクト・福島県)池田守
(木工・福島県)浅田正文(あぶくま農業者大学校・福島県)飯田裕子(写真家
・千葉県)寺本怜子(千葉県)永六輔(放送タレント・東京都)前川真帆香(東
京都)吉田正人(東京都)竹内晶洋(自営業・東京都)吉田正人(東京都)槌田
敦(物理学者/環境経済学者・神奈川県)鶴田由紀(フリーライター・神奈川県)
小林悦子(神奈川県)鹿島佐貢子(神奈川県)今大地晴美(敦賀市議会議員・福
井県)久保哲夫(福井県)岡安純子(長野県)川上昭一郎(静岡県)小沢祐子
(岐阜県)工藤省三・直子・櫻子(静岡県)加嶋尚美(静岡県)小針兼人(静岡
県)杉山智之(建築家・静岡県)英みどり(静岡県)横田純一(静岡県)今井弘
司(自営業・静岡県)橋本裕子(有機農家・愛知県)坂口のり子(風力発電・産
廃「お勝手口」・愛知県)沖章枝(愛知県)大羽康利(愛知県)渡辺則子(豊橋
市議会議員・愛知県)大河剛(愛知県)伊藤善規(愛知県)丸山直希(愛知県)
北河伸太良(愛知県)海住恒幸(松阪市議会議員・三重県)武田恵世(三重県)
波戸賢一(自営業・兵庫県)津野修一(和歌山県)白井修司・綾子(和歌山県)
白井信彦・久美子・文代(和歌山県)白井孝志(和歌山県)武内敏雄・千寿・か
ずへ・啓和・雅志・直人(和歌山県)藤田俊児・よし子・紫恩・奏音(和歌山県)
高垣由美子(和歌山県)黒田街子(和歌山の“いのち”と“景観”を危惧する者
たちの会代表・和歌山県)永山伸一(自営業・山口県)大岩康久(愛媛県)
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by kimizudo | 2009-10-08 17:19 | 田舎暮らし  

白川以北・一山百文

としてまたまた維新戦争の敗北により東北特に境目の福島県は冷視されて来た。東日本と西日本は一体ではない。その境目は対象により岐阜から仙台の間で移動する。
東京を維持する為の迷惑施設は福島県をそのはけ口としている。東北道と常磐道の「恩恵」により首都圏に直結する福島県は観光客というより東京の西で拒否された廃棄物運搬車に歓迎されている。首都圏繁栄の最大課題はエネルギーの供給とゴミの排泄である。このために福島県は有用と思われている。加えて「口と腰の重い」県民性とあいまって「おいしい土地柄」となっている。迷惑施設でも背に腹は変えられないから受け入れるという状況においておく必要がある。それが治める側の通低施策であった。遡れば日清、日露、太平洋戦争でも福島県の兵隊は危険の大きいところに配置されたかもしれない。さらに遡れば、平泉の悲劇。しかし私は原点は縄文の血のアテルイの悲劇にまで遡らなければこの地のアイデンティティーは確立できないと考えている。

幸いにしてというか時代は環境問題や、生活習慣病、トップの劣化など社会のあらゆる部分で「近代化」が負の部分を見せ始め人は原点に還ろうと予感し始めている。「豊かさ」への疑問、「社会システム」への不参加などとして顕在化しつつある。もう東京を見るのは止めよう.自分を磨こう。

このとき2000年の抑圧から開放される東北特に際にある福島県の役割は大きい。岩城、岩代、会津の夜明けは近い。

「いのち育む里山は萌え」。
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by kimizudo | 2009-08-11 09:46 | 田舎暮らし  

木水土

小説  田舎暮らし-1   
                        
田舎暮らしとは天動説に戻る感覚の統合である。 

ここ1万年位人類は身体的構造に変化はないということは養老猛司も言っている。生命維持に必要な装置及び機能が1万年前と基本的に同じということとするとこれは大変な事でもある。トンボやミミズではなく人類、特に都市生活者にとって、1万年前の生活環境とはあまりにも違いすぎる。なのになんとか成り立ってるように見えるのは環境順応性が優れてるからなどではい。脳が常に新しいソフトをインストールしてきただけの話だ。つまり身体は1万年前、脳は現在。このミスマッチングが現代人の悩みの元である。時速300kmで走る新幹線を理解できる身体的能力は備わってない。ひたすら数学的に工学的に頭脳で納得するしかないのである。しかもそんなことは当たり前で特に問題はないという大前提で、社会も政治も経済も成り立っている。つまり地動説は真実であることを教えられているのと同じ事である。人間を含むあらゆる生物は天動説で成り立っている。少なくとも宇宙飛行士を除けばそれで何の支障もない。逆に地球が太陽の周りを秒速30kmでぶっ飛んでるなどは考えないほうがいい。
 人間のハードセンサーとしては触覚、味覚、臭覚、聴覚、視覚及び第六感が設備されてるが現代生活ではそのバランスが著しく偏重している。実はそのバランスの上に成り立ってる共通感覚というものがある。時間や心、意識の統合である。筋肉や、内臓はその単一機能だけではなく共通感覚をも担っている。
若し一つだけ失うとしたら視覚であることは、ヘレンケラーの言葉からも想像がつく。触角など失ったら生きていけないだろう。それは生物として獲得してきた能力の順番によるように思われる。ところがである。現代の生活世界では視覚が架空の世界構築に大きく寄与している。最後に獲得したセンサーである視覚はもともと、光(明暗)、色のセンサーである。形(距離)は触覚の役割であろう。バーチャルの世界はこの最も未完成のつまり錯覚されやすいセンサーを通じて脳に入ってくる。TVもネットも視覚という一番若い門番を説得して入場してくる。(その点イヌネコのほうがしっかりしている)
 この1万年前の身体と現代の人工物で溢れている脳とのバランスを取り戻す為に無意識的に人は自然にあこがれ、さらに素直な人は田舎に暮らすことをその潜在的要求としてもつようになってくるのである。と森の住人コロボックルは私に語った。
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by kimizudo | 2009-01-16 18:53 | 田舎暮らし  

過疎の由縁

私は元々の私ではない。周囲との関係の中で造られて来た。私の意志も関係の中で生まれささえられた。私個人が先に確立してあって周囲との関係が選択されてきたのではない。これは子どもでも60過ぎでも変わらない。私は個人の望みを遂げるただの個人ではない。個人主義はは品格を備えた利己主義であり、利己主義は品の悪い個人主義であると言ったのは トクヴィルであったか。
 善良な公的仮面を被って自己実現や生きがいを求める事は少しとどまってみること。人のためと称して実は自己の満足を得ることを知る。そしてなをその先に自然と人との関係が見えてくればその手法は見違えるほど違う。しかし似て非なる手法が通って行った後には自然と人心の荒廃が残る。そして人は益々個人化していく。今過疎に悩む農山村が問われている一つはこの関係性の断裂なのではないか。
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by kimizudo | 2008-03-18 08:04 | 田舎暮らし  

失ったものを自覚できないこと

田舎暮らしをしていて、とっくに都会では失っていたものが残ってたりすると何かホッとする。この極めて非論理的なしかし自分だけの例外ではないと思えるこの感覚は何を知らせているのだろうかと考えてきた。「棚田」の美しさなどは世界共通らしい。

よく通る道端に新しい建物が出来ると誰でも気が付く、しかしその前の建物がどんなであったかは関係の薄かった方には思い出しにくく、関係の深かった方には寂しささえ覚える。

 都会にあって田舎にないものその逆のもの、この違いをどのような目で見るかは重要である。現代社会のメジャーなパラダイムで見れば田舎は遅れていて、都会は進んでいるのだから都会にあるもの(形あるものだけではなく)を田舎につくることは良い事となる。それはよい場合もあるだろうが、全て無分別に進める事が持つ危なさはよく自覚しなければ、せっかくある良さまで失う羽目になるだろう

一つの関心事は、「都会にあるものを田舎にも欲しいと思う人の心」のなかに入り込んでくるものである。それは観念としては都市の論理(進歩史観)であるがここでは問わない。
行動を起こせは人は変わる。以前の自分と全く同じではなくなる。田舎暮らしの行為実態があれば田舎のよさが身に付くが「カタログを見ればそれが欲しくなる」(都市の論理で田舎の空間に居ることの矛盾)。畑で野菜を植えたり、ブルーベリーの実や栗拾いをすれば身体に記憶として刻まれるがテレビを見れば頭がコンビニを要求する。日常である毎日の暮らしつまり足元が見えなければ、現実でない非日常のテレビの世界を「欲しい」と思ってしまうのだろう。

しかし歴史的に見れば簡単に転換しなかったことが生物としての保障でもあったのだ。遠くは、
農耕の知識と技術がないから狩猟時代が続いたわけではない。農耕の持つ食糧の安定確保という夢のような希望の裏で失うものの偉大さも知っていた。そこでは恐らく「生物の根源的喜び,,命の転移」みたいなものが失われて人類が動物と大きく乖離していく予感があったのではないか。近くは、文字が発明されて国家維持が容易になった。失ったものは、過去の平等性。「記録されていることが在ったたことで記録にない事実は歴史になかったに等しい」等とまことしやかに言われる。
失ったものが自覚できるとは、自分やその共同体が有している歴史、暮らしに誇り(アイデンティティ)があるということが第一である。いらないものは失っても自覚が薄く、大切に思えるものは自覚出来る。
現在進んでいるこの現実は何を得て何を失おうとしているか都市と田舎を見てその集団意識のなかに答えが少しは見えてくるかもしれない。
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by kimizudo | 2008-02-26 09:13 | 田舎暮らし  

むしろ順境こそ恐るべし。


         今年も残り少なくなりました。

      過ぎ去った月日は矢の如くかなたに。
           形を残す間もなく。
      もっともっとゆっくり歩きたいとおもう。
       ゆっくり「あなた」を待ちたいと思う。
      待つことが出来なくなってしまった現代。
   時間を「あなた」のために使うことの大切さも忘れてしまった。
       己の心に素直に生きてなどいられない自己合理化。
           幸せってなんだろう。
     逆境の中で必死に頑張ってきた時代も遠く。
          しかし、やはり、むしろ、
           順境こそ恐るべし。

      自分も、国家も、時代も、浮かれる今ではない

         祇園精舎の鐘の声
         諸行無常の響きあり
         沙羅双樹の花の色
       盛者必衰の理をあらわす
        おごれる者は久しからず
        ただ春の夜の夢のごとし
       たけき者もついには滅びぬ
         偏に風の前の塵に同じ
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by kimizudo | 2007-12-26 17:54 | 田舎暮らし  

マハトマガンジー

七つの社会的罪』Seven Social Sins


1.理念なき政治 Politics without Principles
2.労働なき富 Wealth without Work
3.良心なき快楽 Pleasure without Conscience
4.人格なき学識 Knowledge without Character
5.道徳なき商業 Commerce without Morality
6.人間性なき科学 Science without Humanity
7.献身なき信仰 Worship without Sacrifice


良い事はカタツムリの速度で動くそうです。
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by kimizudo | 2007-12-25 09:10 | 田舎暮らし  

昔話を聞く

今日は、仕事が山ほど残ってるからこそ、午後は隣町に「昔話」「童話」を聞きに行った。
子ども用の物語を子どもに聞かせるように語る。それを8人の大人が聞く。80を超えるお母さんも一つ語ってくれた。電気回路を通さないで。声帯から空気を通して耳に入る。語る言葉は文字ではなく感性を振動で伝える。文字を必要としなかった民族は平和である。文字は富の蓄積と支配の道具として発明され発達した面が強い。文字の究極はネット文化だ。便利を得れば同等のものを失う。一万年前の農耕で失ったものは何か。200年前の産業革命で失ったものは何か。現代の情報化時代に失おうとしているものは何か。生命の本質たるものが削がれ続けているのは間違いない。昔話や童話、もっと言えば神話には人の生物としての生命の本質が語られている。いつ頃からか声を出さない黙読が普通になったのは。
 現代では生きてるもの同士が直接触れ合える機会を持ち感動を共有しあえる場は生活のなかから遠ざかりつつあり、それを意識してつくる作業も必要となっているような気がした。
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by kimizudo | 2007-09-03 21:15 | 田舎暮らし